2006年05月17日

将棋の文化性とゲーム性(1)−名人戦移行問題5

棋士総会が来週の金曜日に迫ってきました。総会の結論にはそれほど重要性を感じていませんが、先週、理事会が名人戦を朝日新聞と毎日新聞とで共催にしてはどうかという提案を出したので、総会でそのような決着になるのならば興味深いところです。

さて、大多数の人が感じていると思いますが、そもそも将棋はあってもなくてもかまわないものです。将棋が存在する理由を将棋というゲームそのものの中に見いだすことはできません。ということは、誰かが頑張って普及しなければいけないわけですね。では誰が何のために将棋を普及するのか。これが問題となってきます。ここでは、何のために、の部分を考えてみます。
将棋というゲームが存在しているのには、当然何らかの要因があります。私は、その要因は、大きく以下の4つが挙げられるのではないかと思っています。
(1)慣習
昔からあるから、という理由です。
(2)文化性
将棋という文化が持つ力や果たす役割のことです。
(3)ゲーム性
将棋というゲームがおもしろいからという理由です。
(4)論理性
将棋というゲームを論理的に解明しようという試みのことです。具体的にはコンピュータの将棋ソフトの開発です。コンピュータ将棋はここ1〜2年で飛躍的に強くなりました。名人がコンピュータに負けるのも、もはや時間の問題です。
今回の問題で大きく浮かび上がっているのは、(2)と(3)だろうと思います。いま、理事会は多くのファンから批判を受けていますが、同じように理事会を批判する人たちの間でも、実は将棋に対する感覚は大きく異なっています。簡単に言えば、(2)を重視する人と(3)を重視する人がいるということです。そして、この2つの立場の違いは、名人戦の主催がどこになるとかということよりもずっと大きな問題なのです。この違いは、具体的には、今後どのように将棋を普及させていくかということに現れてくるでしょう。
私が思うに、理事会は(3)の方を重視した考え方で、現状を憂えているファンの多くも(3)を重視しています。つまり、理事会とファンの間にそれほど立場の違いはなく、ある意味では大勢に従っていると言えるでしょう。
(2)と(3)の違いを、極端に言ってしまえば、(2)は将棋という文化の力で善い人間関係、善い社会を築こうとするのに対して、(3)は将棋というゲームをもっとエンターテイメントとして発展させようとしています。
続く
posted by さがみ at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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